誕生月日

誕生年は霧に包まれていますが、誕生日は12月23日、西洋占星術でいう太陽が山羊座の1度…ノストラダムスの太陽と同じ度数にあたります。
実績 ;横浜にあるデパートでタロットハウス開設時から、現在に至る21年間、実践占い活動を続けています。
過去、鑑定したお客様は6〜7万人くらいになるでしょう。
今後は2000年2月からここ横浜の山手にある「瑛利奈の山手タロット館」にみなさまをお招きして、より深いタロット占いと西洋占星術で占い活動を続けて行きたいと思っております。
 その他毎月の占い原稿執筆など。過去に弟子を育てて、現在皆プロとして活躍中。

経歴

実践占星術家D氏(占星学、タロット占い)との「出会い」によって西洋占星術、タロットの道へ。彼がフリーとなり独自の占い活動を始めた頃、運命的ともいえる「出会い」がありました。初めて彼にお会いしたころ、私が勉強していたのは東洋の四柱推命や紫微斗数占いでした。しかし私自身の運命があまりに西洋占星術の基本となる太陽系天体のセオリーどおりに動かされているのを知り、魅せられてしまいました。
 初対面の日がちょうど彼の結婚式の翌日という「偶然」にも 驚かされます。
 その後、横浜のデパートを拠点にD氏のタロットハウス開設にスターティングメンバーとして参加。以来14年間ここで実践活動を続けました。

TAROTを始めたきっかけ

 西洋占星術はタロットカードと哲学的にリンクしています。
占星術では占う問題や人の持てる可能性、適性、問題や人が発展していく過程でどのような時間的な経過をたどっていくかを読みます。
 言わば運命の「シナリオ」の解読になります。
 いっぽう、タロットカードは占う人の潜在的に感じていることや望んでいることを科学的にはとても説明できない方法で解明していきます。
 こちらは運命のドラマの「テーマ」を解読することになります。
 このドラマのディレクターとアクターはこの占いをするあなた自身です。

因縁?

 たしかに私はタロットや秘密教義に因縁があることを感じることがあります。
例えば初めてハワイへ旅行したとき、タロットカードを買おうと思ったので すがなかなか見つかりませんでした。困ったあげくふと「この人に聞いたら知っているのでは?」とひらめき、あるブティックの年輩の女性に尋ねたところ、彼女はJEFF GREENという有名な占星学研究家の義姉だったのです。
とても親切にタロットや占星学の情報を教えて下さって、いまでもそこへ通 い続けています。
 偶然を装った運命の糸があると思っています。

前世

 自分で記憶はありませんが、ろくなことはしていないでしょう。
占ってみると「夫と子供を泣かせている、他人の金を搾取している。」など と出てきます。
 「数奇な体験をした娼婦か貴族(盗賊?)か?」というところでしょうか? この罪を償うために現在占い師をしているような気がします。
 前世でやり果せなかったこと、誤った道を選択してしまったことなど転生してきたときにまたやり直せるとしたら嬉しいではありませんか?
 この人生の中でも「同じ過ちを繰り返さない」、これさえ守れば成長して いくことができます。

能力?

 予知夢を見ることはよくあります。
例えば・・・気になるホロスコーブが拡大表示される夢。・・・その箇所の ことを考えていると二、三日して「これだな!」と理解することがあります。
 私は以前Windows3.1でインターネットをやろうと無謀なことを考えて悪戦 苦闘したのですが、モデムの調子が悪くうまく接続できなかったとき、夢でネゴる音を聞きました。そうしたらやはりモデムは正常で問題はドライバだったのでした。
 もう古いことになりますが一番当たった夢は・・・
1991年9月15日、日曜日の朝「1ドル119円になる」という夢を見ました。
当時はドル136〜138円位で120円を割るなどとは考えられない時代でした。
ところがちょうど一年後のその日(9/15)円が史上最高値を更新してその数 字になったのです。(日本は祭日なので海外のレートだったと思います)
 この夢を見た日に友人その他に話して置いたので、私の作り話ではないこ とを証明してくれると思いますが・・・。

人生観

 私の人生に一番大きな影響を与えたのは家族の死です。
私が幼稚園のころ、家族は9人だったのですが、妹や祖母、祖父、大叔父などがなくなり高校に入るころはとうとう4人家族になってしまいました。
 13才で一番愛していた(愛されていた)父方の伯母が突然亡くなりまし た。これがいちばんこたえました。この伯母の存在は異性ではないですが、私にとって幼い頃から「恋人」の原型だったような気がします。「愛する人は二度と帰ってこない淋しさ」を思春期に痛切に体験しました。
 これをキッカケにして「他人に幸せを求めてはいけない」ことを感じ、文 学や運命学など書物の世界に没頭していきました。

生まれ

 このタイトルと同じ横浜、山手町に生まれました。
 当時はまだ私の家の回りはすべて外国人でお隣さんはイギリス人、お向かいはパナマ人と国際色豊かでした。
 私の家があったところは江戸末期頃異人館が建っていたらしく「ジェラールの瓦」という横浜開港史に残る由緒正しい瓦が庭先から出てきたりしました。
 生まれたときの環境は前世の環境と似ていると言われるので、多分、前世も近くに教会があったのでしょう。
 今から十年ほど前アメリカのあるタロット研究者のセミナーを受けたことがありました。受講者各々タロットカードを切って自分でレイアウトし、彼が一人一人リーディングをして回りました。
 私のところへ来てくれて「あなたはこれからこのタロットの教義をマスタ ーして人に教えることになるだろう」と一瞬にして読んでくれました。

 この言葉を胸に秘めて今後もタロットリーディングに努力していきたいと 思っています。
「瑛利奈の山手タロット館」から見た富士山箱根山クリックすると拡大されます)
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